2026年10月24日土曜日

2026.8.14-16 オリックスラブライブコラボ×近鉄完乗プロジェクト 完結編①

 第1回:https://turumaista.blogspot.com/2022/08/20227810.html



大写しにしているキャラが来ないの面白い
もはや2年に1回の行事と化したパリーグとラブライブ!シリーズのコラボ試合


 そしてこちらも行事と化したそれに付随した近鉄乗りつぶし旅。3回目の今回、ついに決着をつけることにした。

第1章 Another Sky journey

 8月14日(金) 晴れ
 毎度のことながら今回もこの近鉄全線フリー切符を使用する。
券売機のせいで文字がカスカスなんだけどしっかりしてほしい。最初に買ったときに比べると800円も上がっててビビる。この乗車券は土日祝を含む3日間、近鉄の鉄道、ケーブル全線乗り放題と葛城山のロープウェイが割引で利用できる乗車券だ。
 今回も近鉄名古屋駅からスタート。まず第一走者は6:10発の鳥羽行き急行だ。
列車が入線。だいぶ前編成の前寄り(賢島・難波方面)ならLCカーがやってくることを学んだので狙い通りクロスシートに座る。
変な配置で置かれたホームドア 鶴橋ほどじゃねえけど
 今回はこの急行で鳥羽に行き、そこから賢島まで向かいまずは志摩線の完乗へ向かう。なぜ急行か?と言われたらこの2週間前に東京遠征に行って金が無かったからとしか言えない。よって今回特急は最低限の利用で済ませようと思う。
なんかもう見慣れた車窓過ぎて全然写真を撮ってなかったので気づいたら伊勢中川から山田線、宇治山田からは鳥羽線に入る。どうでもいいが名駅を出てからなんか車内が暑いと思ったら江戸橋あたりでようやく涼しくなった。もしかしたら冷房が入ってなかったのでは?

 この辺の路線は名古屋線と事実上一体化しているのだが、このシリーズで何回も擦ったように歴史的な経緯が理由になっている。山田線はもともと参宮急行電鉄によって、志摩線は後述するが志摩電気鉄道によってそれぞれ建設された路線であり、その2つを結ぶため近鉄が1970年に全通させたのがこの鳥羽線である。
日本三大車窓の一つ 鳥羽に着く前に見える入江
 鳥羽線が開業したことにより大阪や名古屋から伊勢志摩方面のアクセスが改善され、大阪万博に合わせて行われた伊勢志摩の観光地化にも大きく貢献したと同時に、並行して走る国鉄(→JR)参宮線がローカル線に転落することになった。
 8:07 鳥羽着。そのまま宇治山田行きの急行という名駅ではまあまあ見るが鳥羽発と考えると変な列車になって折り返していった。5月に来て以来3か月ぶりの鳥羽だ。とはいっても滞在時間は20分ほどだが。
久しぶり~
戸田家ありがとう~
これ撮ってたら戸田家のWi-Fiをちょっと拾ってなんかぐっと来た。
そしたらやってきた特急が帰りに乗車したNN52だった。今でもその時のメンバーとトイレが流れなかったことをネタにしている。もう直したのかな。
さて感傷に浸ってる間もなく次の列車へ。
8:27発 賢島行き普通。すでに停車中だった。
車両は1240系、近鉄の中で1編成しかないレアな奴だったがいかんせん、この顔とこの長さのやつが多すぎてどこがレアなのか説明するのが難しい。どうも1233系をワンマン改造したものを指すらしい。難しいな近鉄は。
そんな感じで改造されたものなので車内はこんな感じでビジョンもついているほどきれいで、平成初期に作られた車両とは思えない感じだった。車内は3割程度の乗客しかおらず、ほぼ隣の中之郷で降りたので多分鳥羽水族館に勤務している人たちなのだと思った。
鳥羽を出るとすぐに思い出の場所たちが見えてくる。
また行きたいねぇ~
 近鉄志摩線は前述のように1929年、志摩電気鉄道により開業した。当時は鳥羽駅構内で国鉄と貨物列車を直通させていたために1067㎜の狭軌、電圧750Vで開業した。1944年に志摩電気鉄道が合併により三重交通になり、1965年に近鉄が買収。1970年に1435mmの標準軌に改軌、電圧1500Vに昇圧され現在では近鉄の重要な観光路線となっている。
中之郷の方が水族館の目の前なんだよな

前半はこんな感じで入江などが見えるが、そのうち山間部を走るようになる

 線内は基本単線(鳥羽~中之郷、船津~上之郷、志摩磯部~賢島が複線)で、中之郷を過ぎたあたりの区間は特急が走りまくっている路線にしてはミスマッチなほどカーブが多く線形も悪く、さらに家と家を縫うように走る区間が続いたりして面白い。1993年に白木~五知間に全長2700mの青峰トンネルが開業するとトンネル内の下り線で130㎞運転が開始された。そこまでして線内を改良した理由はこの駅にある。
8:53 志摩磯部で下車。この旅最初の目的地だ。この駅は「しまかぜ」以外の全特急列車が停車する。
駅は2面3線。片面ホームと島式ホームが並び、一番東側にある3番のりばは行き止まり式になっている。
 この駅が完成したのは1929年。迫間駅として開業し、1970年に現在の位置に移転し現駅名に改称された。この駅が脚光を浴びたのは1994年、当時の磯部町(現:志摩市磯部町)に開業した総合リゾート「志摩スペイン村」の開業だ。
西口 バスターミナルや市街地はこっちが近い
志摩スペイン村の開業によりアクセス駅となったこの駅は駅舎をスペイン・アンダルシア地方風に改築(パーク内の建物もそれをモデルにしている)、すべての特急列車の停車駅となり駅前からはシャトルバスが発着。
東口 西口よりは簡素
撤去されたエスカレーターの跡が残る階段
 しかし2007年、磯部町が周辺市町村の合併により志摩市となるとスペイン村のアクセス駅はより近い鵜方駅に変更。シャトルバスも去り、パーク自体の来園者も減少したことでこの駅は寂れてしまい、現在はスペイン風の駅舎だけが残っている。
 次の列車まで1時間近くあるのでたっぷりと駅舎を見て回る。この辺とかスペイン村っぽい。
スペイン村あるある「壁に皿飾りがち」
 なぜここまでこの駅に思い入れがあるのか、それは私自身が志摩スペイン村へ毎年のように家族旅行で訪れていたからだ。今自分が旅好きになっている原点は志摩スペイン村、そしてこの磯部町なのである。
同い年ですしね、この駅舎とも。
 西口を出て少し散策する。
駅前ロータリーはまあまあ広い。バスの発着が無くなったわけではないのでバス停は残る。
ちなみにバスの本数はここから少し離れた磯部バスセンターの方が多い。
旧市町村名マニア歓喜の観光案内。

駅前にあるこちらはスペイン村オフィシャルホテルの一つだった「リゾートイン磯部」の跡地。もともとは従業員の寮として作られたものなので外観もスペイン風だ。
  
線路沿いに歩くと見えてきたのが磯部都市下水路ポンプ場。壁にはスペイン村のキャラクターたちが描かれており、訪れた人たちを歓迎しているように見えた。
休憩するために近くのローソンに入ってフラッペを注文しイートインで休む。どうでもいいがジジババの集団がストローが無いだの砂糖が無いだのそんな感じなのか知らんがぞろぞろと狭い空間に入ってきてとても鬱陶しかった。お前ら代表者決めてやって来い。立ちションかよ。俺の思い出の地を汚されるのが嫌なので飲み終わってからコンビニを出たらまだ外の車で屯ってた。アホどもが。
再び西口に戻って今度はパーク内っぽい雰囲気の場所を見つけて一枚。幼い時の記憶がよみがえってくるようだ。
橋上駅舎を渡って東口に出る。こちらは駐車場しかなく目の前には野川の河口が広がる。そしてその向こう側には…
あった。
 行かなくなって20年ぐらい経つし、それ以来に姿を見たのだがあの時の景色そのままだ。
今回スルーしないといけないのが非常に残念だ。いずれスペイン村に関しての記事は書いていこうと思う。
駅舎内にはスペインをイメージしたステンドグラスが並ぶ
 自分の旅の原点、アナザースカイのような場所を眺め、後ろ髪をひかれる思いで次の電車に乗り込む。ちなみにここまでは伊勢志摩ライナーに乗ってやってきたことがあるので、ここから賢島までは未乗車区間だ。
9:58発 賢島行き普通
志摩磯部を出ると次の穴川駅までの間でパークがよく見える区間がある。
左に見えるのがジェットコースター「ピレネー」、右側にある2本の塔が特徴的な建物がホテル志摩スペイン村だ。
もう少し進むとハビエル城博物館やローマ時代の水道橋の壁画が見える。あの壁画ってこんなに遠くから見えるんだとちょっと感動。見えなくなるまで眺めて再び志摩線の旅へ。
 志摩磯部駅が衰退するきっかけとなった鵜方でかなりの乗り降りがあり、賢島からは全員が観光客っぽい人たちになった。この付近は前述のように志摩市の中心部でかなり栄えている印象。
志摩神明を過ぎて再び森の中を走り、短い橋を渡ると賢島へ。
10:10 賢島に到着。これにて志摩線は完乗となった。
そして新規訪問駅も1001駅目となった。駅は観光地のターミナル駅らしく4面5線と広い駅だ。
この辺は西武球場前駅っぽい感じ。高架駅なのは同じだ。
改札口上の表示板には名古屋、難波といった遠くの駅名が並ぶ。
駅近くにはしまかぜをモチーフにした郵便ポストが設置されている。
ここ賢島は近鉄最南端の駅。そして大手私鉄で唯一離島に存在する駅である。駅名の由来である賢島は2016年にG7伊勢志摩サミット(第42回先進国主要会議)が開催された場所である。

ここ賢島も鳥羽と同じくミジュマルだらけだ。
とはいってもこの世代のポケモン知らないんだよな。と思いながら駅の外へ。ここから先にもう一つの目的地がある。
 賢島駅が開業したのは1929年。1970年に現在の駅舎が完成するまでは写真左側の建物が駅舎として使用されていた。現在の駅は高架構造だが、1993年まで普通列車は開業当時の地上駅部分を使用していた。(小田急の新宿駅のような感じ)
現在は詰所として使用されている

駅前には真珠の店が並ぶ。
 さて、志摩線の終点は賢島だが1969年まではこの先にも線路があった。その場所を見に行ってみる。
廃線跡って一発で分かるような道をしている
駅前から延びる道をたどると港にたどり着く。
 真珠港駅跡地。志摩線開業時の終点であり、ここから養殖真珠の素材が積み込まれ、鳥羽駅を通して運ばれていった。その後、志摩地方の真珠養殖事業の衰退、そして志摩線自体が標準軌化されたことから貨物輸送の役割も消滅。1969年に廃止となった。なお線路自体は1993年まで留置線として存在していたという。(参考先)
そんな歴史を大半の人たちはスルーし、海賊船のような船に乗っていく。
続いて駅舎の上にある伊勢志摩サミット記念館「サミエール」に向かう。
ものごっつ安倍晋三。そういえば第1回の近鉄完乗の日はその日でしたね…
当時のG7首脳がお出迎え。
10年経つとだいぶ顔ぶれも変わりますね。
ということで館内を見て回る。館内はサミットで行われた会談の内容や当日のタイムライン、そして付帯して行われたイベントや記念品の展示、カフェも併設されている。ちなみに入場無料だ。
サミットへの理解度が足りなかった。

そしてフロアの中央には…
各国首脳が会談にしようした円卓が展示されている。
円卓は三重県の尾鷲ヒノキで作られている。
そして日本の座席は来館者が自由に座ることができる。せっかくなので座って安倍晋三の気持ちになる。座り心地もよく、自宅の椅子もこれにしたいと思ってしまった。
倉本千奈内閣総理大臣
 というわけでそろそろ賢島を去る時間になったので買い物をして次の列車へ。駅舎内にはファミリーマートが併設されている。

第2章 連絡線上のツバサ

 さてここから一気に大阪に向かうわけではなく、今日はここから京都線の完乗にも向かう。ちょうどいい時間に京都行きの特急があればよかったのだが、残念ながら合わなかった。
乗車するのは11:00発の大阪難波行き特急。停車中に見たらサニーカーかと思ったが、乗車する号車は22600系で助かった。
地味に乗るのが久しぶり過ぎる、最近はアーバンライナー、ひのとり、しまかぜのほぼ3択だったし。
志摩神明方を見る

 この時間なのでほぼ貸し切り状態で発車。この列車に大和八木まで乗車し、八木で京都行きの特急に乗り換える。停車駅が多いタイプの特急であり、大阪難波まで17駅も停車する。
 というわけで昼ご飯。賢島駅のコンビニで購入した駅弁。
その名も「ひのとり弁当」
中身はこんな感じ。海老シュウマイが中央にあり、それをご飯や卵焼き、ヤンニョムチキンなどが囲んでいる。思い出の景色を見ながらおいしく頂く。
賢島から本土へ戻る。
志摩磯部でミジュマルライナー塗装となった伊勢志摩ライナーとすれ違う。
われは海の子 白波の
鳥羽水族館を横目に「われは海の子」の到着メロディーを聞く。下りの海が見えてくるところの景色もいいが、上りのこの車窓もいい感じだ。
 鵜方、志摩磯部、鳥羽、五十鈴川、宇治山田、伊勢市と停車すると車内もだんだん埋まり、伊勢中川で少し遅延してやってきた名古屋方面からの特急と接続すると車内は8割程度の乗車率になった。この辺で都市間輸送に雰囲気が変わる気がする。この直後におなかが痛くなってトイレに駆け込む。今回下手に特急禁止縛りとかしてなくて良かったと思い、ゆっくり過ごしていると大和八木に到着。
外を見るとちょっとだけ雨が降っていたが、問題にならない程度だったので良かった。
13:01 大和八木に到着、すぐに階下の橿原線ホームに向かう。
大和八木にはこのほか京伊特急(京都~伊勢志摩)が使う連絡線もあり、そこを乗車しておくのは次回に持ち越す。
13:11発 京都行き特急に乗車。今度は22000系がやってきた。いよいよ近鉄鉄道線完乗もカウントダウンに入る。
西ノ京に停車。ここは駅前に世界遺産・薬師寺があるのでそのアクセス向けだろう。大和西大寺からいよいよ未乗車の京都線へ入る。
インターネット名所 中に県境があるイオンモール高の原
 京都線が開業したのは1928年、奈良電気鉄道の路線として開業。1945年から1968年までは丹波橋駅を京阪と併用しており、京阪本線と相互乗り入れ運転も行っていた。1988年には竹田駅を通して京都市営地下鉄烏丸線と相互乗り入れ運転を開始している。
宇治川を渡る
 京都線はかつて巨椋池があった部分を走り抜ける。同じく京都と奈良を結ぶJR奈良線とはこの辺りが違い、ライバル関係というか一人勝ちのような印象。宇治川にかかる澱川(よどがわ)橋梁は全長162.4m、最大支間長164.59mは単純トラス橋としては日本最大となっている。これはこの付近に陸軍の演習場があり、陸軍省から「橋桁は1基まで」という無茶ぶりのような条件を受けたことで出来上がった巨大なトラス橋で2000年に国の登録有形文化財に指定されている。
竹田駅付近の京都市営地下鉄竹田車両基地
 京阪との乗り入れ終了後に分離され近鉄丹波橋駅となった丹波橋駅を過ぎるといよいよ京都の市街地へ。ちなみに京都線自体は東寺までの1駅だけ乗ったことがあるので東寺に着いた瞬間に完乗達成である。
 ということでさらっと京都線完乗を達成。京都駅にゆっくりと進入する。今年6月にこの部分のカーブで脱線事故が発生したこともあり徐行運転となっている。
14:00 京都に到着。
徐行を示す標識が置かれた京都駅の線路
これにて近鉄の鉄道線完乗達成となった。
個人的には思い入れがあり、初めて近鉄で降り立ったことのある志摩磯部駅を使って達成したことに感慨深さを感じる。ここ京都は世界から人の集まる観光都市であり、同じく観光都市の奈良とを結ぶ京都線も重要な役割を担っている。特急の乗客もほぼ観光客といった感じだった。
運賃表を眺めてみる。名古屋から3130円。
賢島から3060円。結構遠回りしたなと思う。すでに名古屋を出て8時間を経過している。
 せっかくなので京都駅の外へ出る。そしてもう1つ向かうべき場所に向かう。

つづく