2024年11月27日水曜日

2024.7.6-8 【蓮ノ空コラボゲーム遠征】6回裏のストーリー⑤

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第7章 未知の向こう

 7月8日(月) 晴れ

 今日も蒸し暑い。起床してから温泉で朝風呂を浴び、朝食をホテルの下にあるコンビニで買って部屋で食べてゆっくり朝ラッシュを回避する。

どうでもいいけどこの区分大雑把すぎない?

朝食

お世話になりやした~

 チェックアウト後、まずは難波に向かう、帰りのルートは特に決めてないのでロッカーに荷物は入れないのだが、ここで発車案内を見て「はっ!」としたのでホームへ向かう。

昨日東花園駅で見た「あをによし」がいたので撮影する。
地下駅で異彩を放つ車体
京都行きのはずだが、一番後ろの車両は橿原神宮前を表示していた。まあこの辺は種車も古いしなあと思ったが。

見送った後まだ余裕があるので地上へ。

観光客向けなのだろう、難波駅の表示には道頓堀に行くにはどこで出るのか親切に表示されている。
そんな飲み会みたいなノリで万博すな。
めぐちゃん、グリコだよ…
地上や地下を行ったり来たりしながら進む。
やってきたのは「南海の」なんば駅である。別に間違えたわけでもなんでもなく、ここが今日の出発地点なのである。
南海高野線で河内長野に向かい、そこで近鉄長野線に乗り換える。そのためだけに南海電車を使う。乗りつぶしも兼ねられるし、一石二鳥である。
なんば9:40発の急行林間田園都市行きに乗車。車両は南海の最新型通勤車8300系だ。
隣のホームには古い車両が入ってくる。こっちのほうが知ってる南海電車と言う感じである。
12000系「サザンプレミアム」と一般車両の連結はなんとなく親近感を覚える
なんばを出発して天下茶屋までは南海本線との複々線を走行する。東急大井町線を紹介したときにも出したのだが、高野線の電車は今宮戎と萩之茶屋にも停車するため「各駅停車」と案内され、通過する南海本線の電車は「普通」と案内されている。
天下茶屋を過ぎ、岸里玉出の手前で本線と別れる。以前汐見橋線に乗車したときはここで乗り換えたためかなりの距離通路を歩かされた覚えがある。その汐見橋線こそが実はこの高野線の一部分で、本来の起点である。このように分断されて全線を物理的に直通できない路線と言えば阪急の今津線を思い浮かぶ。
列車は急行なので快適に走るかと思いきや、退避できる駅が少ないのかそこまで速く感じなかった。昨日乗った奈良線は「要るのか?」というぐらい退避駅があったのを思い出してしまう。
ここでフォロワーの南海有識者、みさきさんに面白い情報を貰ったので予定を変更して金剛で急行を下車。
停車していたのは6000系。しかも登場時の無塗装に復刻された6001Fだった。
金剛10:07発 各停河内長野行きで終点まで乗車。
10:15 河内長野に到着。近鉄長野線の駅はすぐ隣にある。
改めて6001Fを見てみる。この車両は1962年製の車両だ。つまり南海ホークス、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスと並行し、阪神との日本シリーズ時、東海道新幹線の開業前から走っている車両である。
そこまで再現するのか
こちらは南海の旧社章。1993年まで使用していたものである。
近鉄もそうなのだが、南海も長い歴史がある会社なのでいずれじっくり乗車したいものである。
連絡改札を通って近鉄の旅を再開する。実は上記の写真に写っていた近鉄の車両は乗車予定の列車なので、だいぶ余裕が無い中写真を撮っていた。
 河内長野駅は1898年に高野鉄道によって開業した駅で、1902年に河南鉄道が乗り入れた成り立ちを持つ。その河南鉄道側、近鉄長野線は1898年に河陽鉄道(翌年河南鉄道が引き継ぐ)によって古市~富田林が開業したのを始まりに持つ路線である。1902年に滝谷不動まで延伸、前述のとおり1902年に全通した。その後大阪鉄道、関西急行鉄道を経て1944年に近鉄の路線となった。ちなみに近鉄は関西急行鉄道と南海鉄道が合併してできた会社である。

つまり先ほどまで乗車していた高野線もかつては近鉄の路線だったのである。今じゃ想像もつかないのだが、そのまま近鉄になっていたら阿部野橋から高野山までの特急とか走っていたのだろうかと考えてしまうものである。

 10:18発 大阪阿部野橋行きの準急に乗車。長野線の電車はほぼすべて種別が準急だが線内は各駅停車である。多分名鉄なら古市で普通に変えられてるだろう。車内はかなり混んでいたのだが2つ先の滝谷不動で8割近くが下車した。この駅は大阪大谷大学の最寄り駅で、副駅名にも表記されている。

車窓からはPL(パーフェクトリバティー教団)の大平和塔が見えてくる。これでもまあまあ遠くにあるのだが、かなり大きいし多分夜中なら怖いと思う。
富田林で下車。長野線はここで単線から複線に変わる。
2面2線のホームにはそれぞれ改札口が直結している、メインは南口になっている。
駅前に停車中のバスは河南町に向かうコミュニティバスだ。2023年12月に廃業した金剛バスの車両をそのまま使用している。
南口の様子。暑いので駅前のコンビニに入ろうとしたらドアの位置を間違えた。ついでに飲み物を買った後「manacaで」と言おうとしたが通じないと思い「manaca、交通系で」と言ったら通じた。少し付け加えることで物事はスムーズに進むのだ。
10:43発の阿部野橋行きはリニューアルされた6500系だった。これで1駅進む。
喜志に到着。ここは某楽曲で「駅前に何もない」と歌われていたのでちょっと降りたくなっただけである。
は?????
いやお前何???????と思ったのだがもう一度通したら普通に通った。3日目のフリー切符はこういうところが怖い。
気を取り直して駅を観察。
本当に天王寺(阿部野橋)まで490円だった。
駅舎。改札などは地下通路に存在している。新清洲みたいな感じだった。
肝心の駅の周辺だが、あのPL学園はこの喜志が最寄駅だったことを初めて知った。
現在は野球部どころか学校自体存続の危機に陥ってるかつての野球名門校だが、中川圭太さんが言ってるようにいずれ復活してほしいものである。
喜志駅に限った話じゃないが、来てみないとわからないことはたくさんある。だからこそ人は旅をするのだろう。
(言えない)
再び喜志から電車に乗る。
11:01発 大阪阿部野橋行きに乗車。
古市で下車。これで近鉄の狭軌線は全線完乗、全体の乗車率も90%を超えた。
達成感もそこそこに11:07発の橿原神宮前行き区間急行に乗車。
橿原神宮前に到着。ここからは標準軌の旅になる。
駅に到着したら「きっとパルケエスパーニャ」のメロディーと共に志摩スペイン村の宣伝放送が流れており、疲れと暑さから自然と笑ってしまった。
ここからは奈良に向かうか、京都に向かうかの2択である。


つづく

2024年11月15日金曜日

2024.9.15-16 【cgSF横浜遠征】星と海に響くファンタジー⑦

第9章 1.067メートルの道

 今思えばホテルの朝食以来6時間ぶりの食事だった。ここ数年は生活リズムの関係上朝食べるのがめんどくさくなって昼にがっつりまとめて食べていたのだが、その結果「痩せすぎ」と健康診断で診断されてしまった。食事量と行動が合ってないのだろう。
 余談もそこそこに中央林間から溝の口に向かう。14:52発の準急 メトロ直通押上行きに乗車。こいつは東武の50050系だった。そういえば半蔵門線に初めて乗った時、接近放送時にLEDで「東武の車両です」などと案内されてるのを見て「オタクに優しいのか?」と思ったら会社ごとに車いすスペースの位置が違うからという理由を後に知った。来た道を戻り、眠い目を擦りながら列車は溝の口に到着。
溝の口駅の大井町線の駅名標は2つある。こっちは田園都市線。
こっちが大井町線の駅名標だ。先述の通り急行は田園都市線に直通するが各駅停車はこの溝の口が始発だ。
車両は東急と言えばこれ!という顔の9000系。去年の4月に長野で同じ顔の電車に乗ったが、あいつは1000系。この9000系は制御装置をインバーターにしたやつだ。まあ細かいことは専門家に聞けばいいか。
その9000系が東横線から押し出され、5両編成化されたものが2009年からこの大井町線で使われている。誤乗防止のためラインカラーはオレンジのグラデーションに塗り替えられている。
ふっとこの車両にクロスシートがあったのを思い出し、行ってみたらちょうど空いていたので座る。普段転換クロスシートに慣れていると「こんなのでクロス名乗るのか?」と思うが東急でクロスシートはまあまあ貴重なのでありがたく座る。
15:22発 各停(緑)大井町行き
 大井町線は1927年。目黒蒲田電鉄によって大井町~大岡山に開業した路線である。なんとこの時から大井町線を名乗っている。昭和初期からこういう大手私鉄で路線名が変わってないのは珍しいなと思えてきてしまう。その2年後に自由ヶ丘~二子玉川の二子玉川線が開業し。その後この2つの路線が組み合わさり、現在の大井町線の形が出来上がる。その後1963年に一度田園都市線に改称され名称が消滅するものの、1979年に新玉川線開業により再び大井町~二子玉川園(現:二子玉川)が大井町線として分離した。そして2009年に溝の口まで延伸され現在に至る。
 先ほど「各停()」と書いたが、この路線には2種類の「各停()」と「各停()」が存在する。緑は自由が丘~溝の口の複々線で大井町線の線路を走行し、青は田園都市線の線路を走行する。そのため緑は線路上にホームが無い二子新地、高津を通過し、青は停車する。関西で言うと南海本線と高野線みたいな感じである。そのため乗車中の列車は各駅停車なのにこの2駅を通り過ぎた。それじゃ「普通」とかでよくないか?
 正直夕方になるともう眠い。疲れもあるので寝そうになるのを必死にこらえながらの乗車になるのだが、この路線はずっと住宅地を走る。そのため景色もそんなに変わらないし結構乗降も多い、だからこそ急行にQシートが導入されたのだろう。指定席がつけられる区間には理由があるのだなと思いながら次第にビルが近づき、建設中の大きなビルに挟まれそうな終点・大井町に到着した。
残すは新横浜線、ただ一つ。ここで昨日見たみなとみらいのコラボを見るついでに横浜まで京浜東北線でワープすることにした。
大井町15:57発 快速根岸線経由大船行き
快速と書いたがもう快速区間が終わっている、種別というものの存在意義がよくわからなくなりながら桜木町に到着。
地味にJR側で降りるのも11年ぶりだ。以前は専門学校の実習で利用したのだが、その時は横浜線に205系が走っており、新横浜駅は相鉄の工事が行われ、横浜スタジアムもオレンジ色の座席だった。時の流れを感じてしまう。
せっかくなので汽車道を通ってみなとみらい方面に向かう。
ここは旧横浜駅、現在の桜木町駅から新港ふ頭までを結ぶ貨物線の跡地を利用した遊歩道で、文字通り廃線跡を歩けるような場所になっている。
1907年製の港一号橋梁を渡る。銘板には歴史が刻まれている。
余談だが前述の国内実習の時にもここを通ったのだが、その時は迷子になって集合時間に間に合わなくなりそうだったので文字通り暴走機関車のようなスピードでこの汽車道を通って桜木町に戻ったというゴミみたいな思い出がある。こうしてゆっくり見られるのは初めてだ。
なお、この橋のウッドデッキの下にはバラスト、レール、枕木がそのまま残されている。いつか見てみたいものだ。
少し歩いてワールドポーターズに到着。
大活躍だったはーちゃん
中の人がレアキャラなせいで未だに1回しかライブで見てないみりあちゃん
君は来なさいよ。
こうして町中にキャラクターがいることに賛否(限りなく否の方が少ないだろうが)があるだろうが、「でらます」のように地元とのコラボは楽しいのでもっとやってほしい。きっと新しい街の魅力を俺のようなよそ者や地元の人間も気づくかもしれない。
なぜかDJぴにゃになっていた。7thナゴヤドームもすでに5年経とうとしてることにビビってしまう。あの時「アイマス最KOO!」なんて言ってた頃の勢いって、
横浜市内の用事はもう終わらせたので再び歩いて駅に向かう。
せっかくなのでロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」に乗ろうとしたらクソみたいに高かったので断念。アトラクションの値段やねん。
横浜第二合同庁舎 旧生糸検査所
歩いてたら馬車道駅に到着。みなとみらい線で横浜方面へ。
みなとみらいでなんとなく下車。これで全駅下車達成。本当に降りるだけなのですぐ次の列車で横浜駅に向かう。
今日1日でだいぶTOQビジョンに慣れてしまった気がする
ここからはいよいよラストスパートだ。
横浜で再び1日乗車券を使うため改札を出場即Uターンで入場。17:27発の特急西武池袋線直通小手指行きはかなり混雑していたのだが、50代ぐらいの夫婦が分かれて座っていたので「菊名で降りるんで!」と言って席を譲って徳を積む。
菊名17:36発各停渋谷行きに乗り換える。新横浜線が分かれる日吉に特急が停まらないから。というのが理由なのだがなんか面倒くさい。
日吉に到着。いよいよゴールが見えてくる。
ここは長らく目黒線、都営三田線、東京メトロ南北線からの直通列車の終点だったのだが、今じゃ新横浜まで向かうようになった。
埼玉高速鉄道の2000系がやってきた。こいつは東急線以外はずっとホームドアで姿が見えないのでなかなか撮影難易度が高い。
反対側には横浜高速鉄道のY500系が到着。東横線や目黒線は車種が多くて見ていて楽しい。
アンカーである17:47発 急行相鉄線直通海老名行きは3000系だった。ここで相鉄の車両が来れば面白かったのだが、今日は東急をメインに据えた企画なのでこれでいいのだろう。
 東急新横浜線は2023年3月に開業した文字通り出来立てほやほやの路線だ。日吉を出発するとトンネルに潜り、唯一の途中駅、新綱島に停車。わずか5.7kmの路線だが新横浜駅を介して新幹線と東横線沿線が近くなったこともそうだが、海老名などの相鉄線へのアクセスが良くなったのをこの2日間で感じた。
ラインカラーは紫色 相鉄の青と東急の赤の中間ってことだろうか。知らんけど。

そして…
17:53 新横浜に到着。昨日は相鉄、今日は東急側からこの真新しい地下駅に降り立つ。これで東急全線の103.3kmを制覇することを達成した。正直言って疲れたのだが、何かを成し遂げるという達成感に勝る快感はとても気持ちがいいものである。
向こうのホームには相鉄の車両が入線していた。
真ん中には東京メトロの9000系が入線。こいつもまさか相鉄電車と並ぶようになるとは思わなかっただろう。
東急に別れを告げ、このままJRの駅へ向かう。
お土産を購入し、EXアプリを開いたのだがどの列車も満席だ。そりゃ、連休最終日だし当然かと思ってたのだが偶然にも窓際の空席を見つけて予約。
新横浜18:45発 こだま749号名古屋行き
さらば横浜。また楽しませてくれ。
 乗ってみたらなぜか3人席でカップルのいるところに席があった。結局名古屋まで一緒だったし後ろもなぜかずっとガラガラだった。おい、どないなってん。
夕食は横浜名物崎陽軒のシウマイ弁当。
うまい。お土産もシウマイにした。
そんなこんなで名古屋に到着。
吸いなれた名古屋の空気。
在来線ホームに行くとキハ25系がいた。あー安心する。この顔。
そのまま鶴舞に向かう。
21:44 鶴舞駅に到着。これで今回の遠征は終わりを迎えた。
余談だがこの鶴舞から続く線路は羽沢横浜国大を通じて相鉄、東急にもつながっている。そう考えると鉄道趣味はロマンがある趣味ではないだろうか?自宅の最寄り駅から知らない街までつながっている。この先には数多くの冒険が待っていると思うと俺はこの趣味のそんなところが好きなのだろうと感じた。

そのままにしておくとなくなってしまうもの、なに?

 今回、「もうデレマスは最後にしよう」という思いで出発した。結論から言おう。次回デレマスのライブ行くかどうかは全く分からない。なぜなら来年モチベーションがどうなっているかなんて全く分からないからだ。チケットが外れたら行かないだろうし、そのままにしておくと多分「行かない」という選択肢が真っ先に出るようになってしまうだろう。だから1つ1つの、次のライブに全力を注いで今しかない瞬間を楽しむことが今必要なのだろうと思った。

 シンデレラガールズというのは今思えば戦いの歴史だったと思う。ライブ感想パートに書いたような「新曲を待ち望む演者」「またリベンジしたいと語る演者」「声なきアイドルのステージを待ち望む俺たち」はこの先も運営に向けて発信していかなければならないと思う。そうやって運命を変えてきた歴史がそれを証明している。それこそラインカラーや新車を拵えて都心にカチこんだ相鉄、街を一から作り上げた東急、みなとみらいの再開発を進めた横浜市から学べることだってあるはずだ。

 この記事を書いている間にミリオン11th直前の中止という悲劇が起きた。ライブが直前で中止になるという事実にショックを受けながらも「でらます」コラボのために名古屋に来た数多くのオタクを見かけたのだが、共通しているのが悔しさや悲しさの中にも「ミリオンライブをここで終わらせてはいけない」という気持ちを感じたことだ。それじゃ俺たちも同じ気持ちでこの先シンデレラガールズというコンテンツを止めない、立ち止まらないという気持ちで向き合うのが正解なのではないだろうか?と、出会ったオタクの楽しそうな顔を見て思った。この「スターライトファンタジー」の物語はきっとファンタジーではなく、俺たちの置かれた現実なのであろう。ならば、いずれ来るであろう最後の日まで後悔なく楽しむことが今出来ることなのではないだろうか?それがきっと未来を、運命を切り拓くことにつながると信じている。まもなく13周年を迎えるシンデレラガールズの旅路がこれからも続くことを信じ、この記事を締めようと思う。

最後に今回会ったいつものメンバー、知り合った方々やその他お会いした方々、安全運行に努めてくださった各鉄道会社の方々やホテルの方々に謝意を表したい。本当にありがとうございました。
乱文雑文になってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

cgSF遠征 星と海に響くファンタジー 完