→第7章続
この桜新町駅は1907年に玉電の桜新町電停として開業したもので、1977年に現在の地下駅として開業したものである。この駅の構造は面白く、地下2階が中央林間方面、地下3階が渋谷方面となっていた。それと急行は通過するのだが、その通過線は壁の向こうにあるせいで急行列車の客は桜新町駅の存在を感知することなく通過する。
その壁には駅名にちなんで桜の絵が描かれていた。ここで下車して散策する。ここ桜新町は国民的漫画「サザエさん」の舞台として有名である。駅前にはサザエとタラオの銅像が飾られている。
駅近くの商店街は「サザエさん通り」
ちなみにBGMもずっとアニメのサントラや曲が流れていた。
公共の看板にも書かれるほど浸透している。ちなみにこの近くのセブンイレブンは作中の「三河屋」のモデルらしい。なぜそれに気づかなかったのか。
歩いて10分ぐらいで長谷川町子美術館に到着。
さっそく見学…と行きたいところだが今回は乗りつぶしがメイン企画なので断念。後ろ髪を引かれる思いだが、多分入ってしまったらめちゃくちゃ時間を食ってしまうと思った。
道の反対側には2020年に開業した長谷川町子記念館も建てられている。
道の反対側には2020年に開業した長谷川町子記念館も建てられている。
今回はスルーしてしまうが、また次回東京に行くときは行かなければならない。
美術館のすぐ横には「サザエさん公園」の愛称がつけられた小さな公園がある。
ここには磯野家5人が並んでいた。
波平の髪の毛はちょくちょく毛が引っこ抜かれるとかでニュースになったりする。そんなことしたら爆発しますよ。あかんで。
ということで桜新町駅に戻る。また今度。
美術館のすぐ横には「サザエさん公園」の愛称がつけられた小さな公園がある。
ここには磯野家5人が並んでいた。
波平の髪の毛はちょくちょく毛が引っこ抜かれるとかでニュースになったりする。
ということで桜新町駅に戻る。また今度。
たまプラーザって結局なんやねん。と思って調べたら当時の車両・五島昇の発案による駅名で、「プラーザ」はスペイン語で「広場」を意味する。つまりはこの付近の多摩田園都市の中心になるような場所を願ったらしい。よく都市開発の話になるときに東急や阪急が例に出されるのだが、東急はこの場所を田園都市として拓いたわけである。実際混雑の激化などの問題は起きているのだが、実際に乗ってみるともうこれ以上は全線を複々線にするぐらいしかないのでは?と思えてくる。
第8章 トレインファクトリー
列車は長津田に到着。ここで本日4つ目の路線に乗り換えるのだが、この路線は少し特殊な経歴を持っている。
ここ長津田はJR横浜線との乗換駅ともなっているが、もう1つ乗り換えられる東急の路線がある。 それがこどもの国線である。なんともメルヘンチックというかかわいらしい路線だ。ここは1965年に開業した「こどもの国」へのアクセス路線で、それ以前は1942年に開業した弾薬庫への輸送線が元になっている。ちなみにその弾薬庫の跡地に建てられたのが「こどもの国」である。
中間改札を通って7番線の片面ホームに到着。
駅名標も駅の接近放送も田園都市線と違う。この路線は前述のとおり開業後、こどもの国へのアクセス路線として利用されていたのだが、1980年代より沿線の宅地化が進むと通勤路線化の要望が出るようになった。実は開業からこの路線は東急が運行し、社会福祉法人こどもの国協会が駅を保有していたのである。
2017年に開業した南町田グランベリーパーク駅に停車。この駅は地味に東京都最南端の駅で、東急で最も標高が高い駅である。高いと言っても75mなので野辺山駅と比べ物にはならないのだが。
乗車した列車は折り返し大井町行きの急行になった。残すはこの大井町線と新横浜線の一部区間だ。
駅舎の様子。ここから小田急江ノ島線に乗り換えられる。そういえば箱根ケーブルの早雲山から箱根登山鉄道、小田急、この中央林間で東急に乗り換えてから東京メトロ、東武、野岩鉄道、会津鉄道を通って西若松まで私鉄のみで移動できるルートが移管3セクとかを考えない場合の私鉄オンリーの最長移動ルートとかそういう話があるのだが、絶対やらないと思う。
いい加減昼食をとる。中央林間駅の「しぶそば」はちゃんと開店していた。
中間改札を通って7番線の片面ホームに到着。
駅名標も駅の接近放送も田園都市線と違う。この路線は前述のとおり開業後、こどもの国へのアクセス路線として利用されていたのだが、1980年代より沿線の宅地化が進むと通勤路線化の要望が出るようになった。実は開業からこの路線は東急が運行し、社会福祉法人こどもの国協会が駅を保有していたのである。
この経緯を調べたとき「ああ遊園地のシャトルバスに通勤客乗せるのはおかしいよな」と思った。そういう感じである。
その後、1997年に運営を横浜高速鉄道に譲渡、休園日などを中心に線路や駅の工事を行い、2000年に現在の形で運行を開始した。それまで列車のなかった休園日や深夜早朝にも運行することになったのである。ちなみに前述のとおり施設を保有しているのは横浜高速鉄道、つまりみなとみらい線と同じ会社なのである。あの都会のど真ん中の路線とこんなのどかな雰囲気の路線が同じ会社なのか…と思ってしまった。なお運行はこれまで通り東急が行っているので、今回使用しているフリー乗車券で乗車できる。ほなみなとみらい線にも乗せんかい!
車内はカラフルな座席が並んでいた。昼間なのでスッカスカだった。こどもの国線専用のY000系 うし柄の「うしでんしゃ」編成も存在する |
一瞬何かが見えた気がするのだが撮り逃がしたので折り返す時に撮影する。
ちなみに通勤路線化の議論でバス化が提案されたものの鉄道路線のままだったのはこの工場があるためである。
この路線は世田谷線と比べ物にならないほど短い。14:02 終点こどもの国に到着。
緑化軌道か。
終点・こどもの国駅はホームが1面1線だった。駅前には虫取り網を持った男の子が走り回っており、駅名の通りここはこどもの国なのだと思った。20代後半の男にはきついのでさっさと折り返す。
緑化軌道か。
終点・こどもの国駅はホームが1面1線だった。駅前には虫取り網を持った男の子が走り回っており、駅名の通りここはこどもの国なのだと思った。20代後半の男にはきついのでさっさと折り返す。
14:04発 各停長津田行きに乗車。
車両工場の片隅に引退した8500系が置かれていた。こいつは初めて半蔵門線に乗車した時にやってきたのだが、「お、鶴舞線の3000系みたいなやつが来た」と思って乗ってみたら車内空調が扇風機でさらに肉声放送しか無かったのでひっくり返った思い出がある。以前親が上京した後に「東京の地下鉄はまだ扇風機ついてんのかよww」とバカにしていたのだが、おそらくこいつのことだと思う。
車両工場の片隅に引退した8500系が置かれていた。こいつは初めて半蔵門線に乗車した時にやってきたのだが、「お、鶴舞線の3000系みたいなやつが来た」と思って乗ってみたら車内空調が扇風機でさらに肉声放送しか無かったのでひっくり返った思い出がある。以前親が上京した後に「東京の地下鉄はまだ扇風機ついてんのかよww」とバカにしていたのだが、おそらくこいつのことだと思う。
先に進む。
正直もう疲れたので中央林間まで行ったらそのまま長津田からJRで新横浜まで行こうかと思ったのだが、ここまで来たら意地でも全線制覇したくなってきた。
長津田14:19発 急行中央林間行きも大井町線の車両だった。乗ってみると車内がLCカーのような車両だった。これは大井町線の着席サービス「Qシート」の車両で、通常時はロングシート、Qシート時にはクロスシートとなる。ちなみに東横線にもあるのだが、こっちは苦戦してるようで飲み物を配ったりしてるそうだが、大井町線のQシートはかなり好評なそうだ。2017年に開業した南町田グランベリーパーク駅に停車。この駅は地味に東京都最南端の駅で、東急で最も標高が高い駅である。高いと言っても75mなので野辺山駅と比べ物にはならないのだが。
つきみ野を出ると地下に入り、終点・中央林間駅に到着。
これで今日5路線目の制覇となった。乗車した列車は折り返し大井町行きの急行になった。残すはこの大井町線と新横浜線の一部区間だ。
駅舎の様子。ここから小田急江ノ島線に乗り換えられる。そういえば箱根ケーブルの早雲山から箱根登山鉄道、小田急、この中央林間で東急に乗り換えてから東京メトロ、東武、野岩鉄道、会津鉄道を通って西若松まで私鉄のみで移動できるルートが移管3セクとかを考えない場合の私鉄オンリーの最長移動ルートとかそういう話があるのだが、絶対やらないと思う。
いい加減昼食をとる。中央林間駅の「しぶそば」はちゃんと開店していた。
さてここまで来ると疲労が溜まってくる。そばを食べながら悪魔がささやく「もう大井町線次でよくない?」しかしここで負けてしまってはいけない。昨日諦めなかったシンデレラガールズが勝ったじゃないか。もう一度思い返す。「選択肢は行くとGOの2つ」だと。
つづく
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