2023年4月26日水曜日

2022.7.8~10 夏の始まり、虹を探して。④

 第6章 生駒からMystery

再び学研奈良登美ヶ丘からコスモスクエア行きに乗車。
10:58発→生駒11:07着。
サードレール方式と普通の鉄道が並んで走る。しかも同じ会社というのもなかなか珍しいのではないだろうか。近鉄のこういうところが面白いと思う。
けいはんな線と奈良線・生駒線の間の中間改札と駅の改札を抜け、外を見てみる。
けいはんな線と奈良線では経由によって運賃が違うようだ

北口の様子。マンションやスーパーがある。
生駒山を望む。この上にはアンテナと生駒山上遊園地などが、下にはトンネルがある。
 ここから先のルートを思案していたのだが、今日は昼過ぎから大阪のフォロワーと合流する予定があるので「それまでに乗りつぶしを終えたい」と思い生駒のケーブルカー、もしくは生駒線と田原本線・橿原線に乗車して生駒から大和八木まで抜ける計画の2択で迷っていたのだが、ケーブル線はどうも折り返すのには非効率すぎることが判明。ここは生駒線と田原本線を使い、大阪市内に戻ることにした。
もう少し生駒駅の周りを見たくて地図を探していたのだが、その地図の前で市民団体やらが世界平和をまもれとか憲法を守れとか横断幕を掲げていたので見る事が出来なかった。俺には護憲より生駒駅附近の地図が大事なのだが、まったく人の迷惑も考えられない人間に平和を訴える資格なんてあるのか。
改札内に入り、6番のりばに向かう。生駒線の列車は5・6番のりばから発車する。
6番のりばの線路は行き止まりになっている。ちなみに奈良線と生駒線の合流地点は大阪方の新生駒トンネル内に存在するため、直通列車の運転はない。臨時列車が運転される際にはトンネル内でスイッチバックするらしい。
車両は1021系。この路線は近鉄で唯一、20メートル車体の4ドア車4両編成でワンマン運転を行っている。この路線の発端は信貴山朝護孫子寺へのアクセスのため、信貴生駒電気鉄道が1922年に開業した山下(現:信貴山下)~王寺の区間である。5年後には生駒まで全通し、1964年に近鉄の一路線になった。この遠征はどうも信貴山がキーポイントになっているらしい。
11:24 生駒を発車。南にカーブしているホームを出るとそのまま南下。王寺まで12.4kmのローカル線の旅が始まる。4両編成のすべてが6~7割ぐらいの乗車率だった。
 菜畑、一分と停車し、南生駒から次の萩の台までは単線になる。再び複線になるが近畿大学奈良病院の最寄駅である東山からは再び単線になる。用地は確保されているのだが、いったいどういう理由なのだろうか。まあこれでも十分な本数が確保できるという算段なのであろう。車窓は常に進行方向左手は山、右手は住宅地といった感じの光景であまり変わり映えがしない。その山こそが前日ケーブルカーで登った信貴山である。
 生駒市から騒音おばさんで有名な平群町を抜け、三郷町に入ると信貴山下に到着。ここからは1983年に廃止された東信貴鋼索線が分岐していた。ここから信貴山朝護孫子寺まではバスで11分だ。生駒から南に進んでいた列車はここから東向きにカーブし、11:49、終点・王寺に到着した。
王寺駅前の遊戯王みたいな噴水
王寺駅で駅名標を撮影し、急ぎ足で改札を抜ける。ここ王寺に近鉄は2つの駅を持っている。一つはこの生駒線王寺駅。そしてもう一つがこの先で乗り換える田原本線の新王寺駅である。詳しい説明は後回しにするのだが、大急ぎで新王寺駅までダッシュして改札を抜けた瞬間、列車の時間を勘違いしていたことが判明した。
ということで仕切り直しである。駅前を散策しながら列車を待つ。

第7章 前身会社を巡る冒険

 
 王寺駅前で昼食を取ろうと思ったがあいにくどこも埋まってるので断念。選挙が明日に控えているとこういうターミナルの駅前は選挙演説などが行われているイメージなのだが、前日のこともあってか静かな昼下がりを迎えていた。
 
気を取り直して再び新王寺駅に向かう。上の写真のように今日はずっと晴れている。この晴れが続けばいいのだが、このときはそう考えていた。
 田原本線は1918年に大和鉄道が新王寺~田原本(現:西田原本、現在の田原本駅とは別の駅)の路線を開業したことが発端で、その後桜井・名張、そして宇治山田方面に路線延長を画策したものの、こちらも近鉄の前身である大阪電気鉄道、参宮急行電鉄との競争に敗れ、その傘下に入る。その後1961年に信貴生駒電鉄に合併されるも、3年後にその信貴生駒電鉄が前述のとおり近鉄に合併され、現在の近鉄田原本線となった。
8400系のうち3編成がここで運用されている
 このような複雑な歴史を持つ路線が近鉄には多く存在するのだが、この路線がイレギュラーなのはどちらの終端駅も他の路線と接続されていないという独立路線なことである。
その独立路線に列車がやってきた。この路線は8400系4両編成のワンマン運転で運行されている。ちなみに独立路線と書いたが、正確には西田原本駅手前で橿原線との連絡線が存在しており、車両はそこから出入りしている。さっそく12:12新王寺発、ワンマン普通の西田原本行きに乗車したのだが発車を待っていると先ほどまでの晴天が一転、豪雨になってしまった。
豪雨の中新王寺を発車。車内は生駒線とほぼ変わらない乗車率で、近くには部活のジャージに身を包んだ女学生の集団が談笑しているなどにぎやかな車内だ。

レーダーを確認するとちょうどこの田原本線にかかるように赤色の雨が強く降る部分がかぶさっていた、個人的に11年前、部活の合宿の帰路である山陰線で突然の豪雨に列車が突っ込み、なぜか綾部駅を発車して1駅の山奥の得体のしれない駅で2時間も缶詰にされた悲劇が思い浮かぶ。ちなみにあの時のJR西日本の司令はいまだに許していない。犬に噛まれろ、クソボケという暴言はこいつのために存在するのであろう。
 それはそうと列車はその心配をよそに快走を続け、次第に雨も弱まってきた。この路線も常に住宅地の中を進むので車窓はあまり変わり映えしない、思っていたよりも栄えている場所を走っているという印象だった。途中の箸尾ですれ違った対向列車も同じぐらいの乗車率だったので、廃止の危機に瀕しているとかそういう路線でもないらしい。但馬を過ぎると雨もほぼ上がり、曇り空の下を走ると進行方向左側に橿原線の高い架線柱が見えてきた。
 12:32西田原本に到着。全長10.1kmのイレギュラーなローカル線の旅は豪雨しか印象に残らないものになってしまった。
西田原本駅手前の連絡線(右) ここを通る臨時列車が設定されることもある。
駅東側から見る橿原線の線路
 見た限りでは乗客の大半は田原本駅に向かうようだ。改札を抜け、駅前広場は2009年に整備され、田原本駅と共通のロータリーが作られた。
西田原本駅の駅舎。簡素なものになっている。
新しく整備された田原本駅の西口。こちらが完成したことで2駅間の行き来が便利になった。
踏切を渡った先にある東口から橿原神宮前方面のホームに入る。さっきの学生集団が改札手前でやたらたまっていてムカついた。
田原本12:38→大和八木12:45 普通橿原神宮前行き。もはやシリーズ21の車両も見慣れてきた。
いちローカル線にとどまろうとせず、はるか伊勢志摩の地まで伸ばそうという野望を抱いていた大和鉄道に思いをはせながら大和八木に到着。ここから再び大阪へ向かう。

大和八木12:53→鶴橋13:23 急行大阪上本町行き
鶴橋13:23→大阪難波13:29 区間準急大阪難波行きと2つの列車を乗り継いで難波まで戻ってきた。区間準急には普段京都市営地下鉄に乗り入れている3200系がやってきた。この車両は奈良線や難波線でも運用されている。今日の乗りつぶしを終え、これで信貴、西信貴、けいはんな、生駒、田原本、地下鉄中央線と6つの路線を制覇した。残り1つを明日に残し、大阪難波の改札を出た。

つづく

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