2023年8月16日水曜日

2023.6.10~12 はじけて、かがやいて。~よまつり遠征記~⑤

 第8章 せかい

 2日間のよまつりを終え、LV会場が一緒だったかいていさんと打ち上げより前に少し飲む。

枯らした喉にレモンサワーがよく染みる。痛い。
その後は現地組と合流するために梅田駅前で余韻に浸る。
余韻に浸っている中突然顕正会の勧誘のおっさんに話しかけられる。
俺は毎回こういう時言葉が通じないふりをするのだが。
こんなカルト教団みたいな恰好をしているのに話しかけてくるとはお前は修行が足りねえよ。あと単純に邪魔じゃボケナス。向こうもカルト教団なのになそう思いながら現地組と合流、昨日と同じ店に向かった。
祝杯。何に対してかはわからないけど。
タコちゃんラブちゃん(9時間ぶり3度目)
揚げてほしいのか、そうかそうか。
酔ってて何を話したのかはあまり覚えてない。
とりあえず本町駅で1人になった後欅坂の「エキセントリック」のPVみたいな感じで深夜の誰もいない地下通路を歩いていた気がする。
その後ホテル1階のコンビニでのんきに買い物をしていたら門限2分前になっていたので慌てて戻る。
俺はあきらめてないよ
とにかくこの2日間は「つながっているもの」「戻ってきたもの」「新しいもの」の3つが交差するような日々だった気がする。その後温泉に浸かり、アニメを見ていたら放送が終わったのでそのまま就寝。
サンテレビのクロージングはアニメーション調でなかなかよかった。こういうのも旅の楽しみだと思う。

6月12日(月) 雨

 だからどうしてこういう日には雨が降るんだ。インケツにも程がある。目の前にお天道様が居たらスネを徹底的にローキックで攻撃していたか、大リーグボール3号を連投していたと思う。今日は夕方ぐらいまで大阪で過ごした後、名古屋に戻るだけである。

温泉で朝風呂を済ませ、朝食なしプランのため昨日の夜買ったパンとコーヒーで朝食。
お世話になりやした~
チェックアウトの後は大阪難波駅に向かい、コインロッカーに大きな荷物を投げ込む。
特に予定は決めてないのだが、行ったことがなかったので通天閣のあたりまで行くことにした。御堂筋線に乗り込み、動物園前で下車。
降りてから商店街を進む。
古風な店舗が並ぶ商店街を歩くとゲームセンターを発見。通りがかると電車でGO!2の筐体が見えたのでさっそくやってみることに。
ここ以外に置いてあるのを見たのは大阪駅の改札口に代わってしまった梅三小路と鳥羽駅前ぐらい。ほかにどこかに残っているところはあるのだろうか。とりあえずほくほく線をプレイ。
これだけでどこでどうなったのか想像してください。
外にはわたがしのマシーンもあった。そういえば一昨日昨日はステージ上になぜか置いてあったなと思いながら進むと射的のお店もあった。
一昨日と昨日はステージ上で射的やってたし後でやりたいな~とか思いながら通天閣に到着。
大阪には何度も来ているのだが通天閣の近くに来るのは初めて。しっかり見たのも初めてだ。
通天閣の真下は公道になっており、上を見上げると絵が描かれていた。
 通天閣が生まれたのは1912年。当初はパリのエッフェル塔と凱旋門を合わせたような建物として「トリビアの泉」でも紹介された建築で、かつてこの地に存在した新世界ルナパークという遊園地とともに営業後1943年に火災により大破。第二次世界大戦による金属供出によりその姿を消した。
現在の通天閣は1956年に竣工した二代目のもので、長きにわたって大阪・新世界の象徴として人々に親しまれている。
ここからちょっとだけ寄り道をしてやってきたのが阪堺電車・恵美須町駅。
こっちは旧駅跡である。完全に何もなくなり駐車場になってしまった。
新駅のほうまでやってきた。こっちは前回7th大阪のDay2で阪堺電車の車両を利用したアニクラ(アニメソングを使ったクラブイベント)の貸切列車に乗車するために向かった思い出の場所である。あの日もこんな感じの雨が降っていたことを思い出しながら通天閣の下に戻るととばつるさんと合流した。話によるとこの付近は昨日大阪城ホールに居たであろう人たちだらけだそうだ。みんな考えることは同じである。
その後は先ほどの射的へ。

#HE4DSHOT 砂塚あきら
昨日の都丸ちよさんよりは当ててえなあと思いながらプレイ。途中から付近のお店で使える割引券に狙いを定め、無事200円分の割引券をゲット。
さっそくかいていさんも合流したので酒。オールフリーを飲むが快感は変わらない。
串カツなどに舌鼓を打ち、その後は天王寺方面へ。


途中にいい感じに通天閣を眺められる場所があったので一枚。天気が悪い。


ブラつるまー 西成編。
散歩をした後はねぎまぐろさんとバッファ朗さんも合流してお昼はたこ焼き。

タコちゃんラブちゃん(13時間ぶり4度目)
なんか食べてばかりじゃないか?????
その後は天王寺駅まで向かい、ここでとばつるさんやねぎまぐろさん達は先に離脱するので見送る。
その後は適当にふらふらした後。
九条に来ているというのはそういうことです。
割愛。
そのあと大阪難波まで戻り
大阪を離れる時が来た。次はいつだろう。
19:00発 特急ひのとり19列車 名古屋行き
お決まりの柿の葉寿司で夕食。
2時間の旅はあっという間だった、たぶん体感でも一番短かった気がする。
お土産。月曜日に有休をとったのでご機嫌取りで職場にも珍しく持って行ったのだが好評だった。
こうして今回のよまつり遠征は酷使しすぎて声を出すことすらままならなくなった喉とともに幕を閉じたのであった。

エピローグ 

 よまつりから約2か月後、再び普通列車に乗り込んで西に向かった。


マキノ…マキノだよ…
滋賀県高島市にあるマキノ駅である。ここは駅名を見ての通り、八神マキノPの聖地的な場所になっているのである。出身地岐阜なのにね
筆者も5年前の夏に始めて来て以来、ことあるごとにこの場所を訪れるようになった。
この2か月でアクスタの台座無くして泣いた
おそらくここに来る事でマキノから何かを感じ取ろうとしていたのかもしれない。
初めて来た日から5年。当時はまだボイスさえついていなかったマキノの声が聞こえるようになり、曲ができ、それをライブで披露するまでになった。それこそDay1の日にマキノPの人から聞いた「昔は同担が3人しかいなくて~」という話から思うに一筋縄でここまで来たわけではなかったと思う。けれど今は多くのファンやPがマキノを見守るようになった。あの日からは大きく変わったと思う。
 行きに乗った草津線や関西線はかつてはメインルートの一つだった。人々に忘れられてもその事実だけは残る。「瑞風」が人々に与える思い出は一生忘れられないものになるだろう。新しい大阪駅もこれから先、多くの思い出を人々に与えることになるだろう。同様にマキノが我々に与えてくれたものも多い、思うように選挙の結果が出なかった時、泥酔状態で応援を呼び掛けたあの打ち上げ、ボイスオーディション、コンステでのソロ曲制作発表…数えきれない。その多くは「あきらめなかったこと」と「立ち止まらなかったこと」の2つにまとめられるだろう。

だから我々も同じ気持ちでこれから先マキノを応援しよう。そう感じたこの3日間の遠征は記憶の中に強く刻まれ、決して忘れることはないだろう。あの時の耀くステージを。


はじけて、かがやいて~よまつり遠征記~ 完

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