2024年12月20日金曜日

2024.7.6-8 【蓮ノ空コラボゲーム遠征】6回裏のストーリー⑥

 第8章 自己満足の旅

 橿原神宮前からの選択肢は2つ。京都線を完乗するか、奈良線の残り区間である大和西大寺~奈良を走破するか。

11:33発の京都行き急行に乗車。大和西大寺までに決めたらいいと思った。
田原本線に向かう連絡線
しかし、座れなかったことで態度は硬化。「もう京都線良くない?」と思えてきたので西大寺で奈良行きに乗り換えることにした。一人旅なんて所詮そんなものでいいのだろう。
生駒山地を見ながら列車は進み、大和西大寺に到着。
この日は7月8日。2年前にもこの駅を訪れていた。
駅前をチラ見してみたら結構人が集まっていた。
駅前の建物には半旗が掲げられていた。
そんな物々しい雰囲気の西大寺駅を後にする。
12:11発 奈良行き急行に乗車。昼時にしては混んでいた。みんな観光客だろうか。
列車は平城京跡を横目に走り、新大宮を出た後地下に潜る。この区間はかつて併用軌道だったのだが、1969年に地下化された。
途中新大宮駅で「近鉄奈良駅で非常通報装置が扱われた」という理由で足止めを食らう。なんでそう焦らすんだ。
12:17 近鉄奈良に到着。これで奈良線も完乗した。
駅名標にもシカがいる。
先述の通り駅は地下駅の4面4線、4番線以外の線路は全て両方のドアから乗降できる構造になっている。
せっかくなので降りて東大寺まで行ってみることにした。
駅ビルはこんな感じ。地上に上がると日野茜と高山紗代子と松田宣浩を煮詰めてオタクの陰湿さを混ぜ込んだような不快な空気に包まれた。そしてそこら中から聞こえてくるのは日本語よりも外国語の方が多かった。ここは国際的な観光地なんだということを思い知らされると同時に、こんな不快な環境である夏の日本に来る外国人はいくらなんでも物好きすぎるだろと思った。
駅からしばらく歩くと奈良公園のエリアに到着。ここでは鳩みたいな感覚でシカが闊歩している。
そういえば最近は観光客がシカに悪さをするような事案が多いらしい、ここにいるシカは野生なので、人間に襲い掛かってくる危険があるという注意書きがあるのだが、それでもシカに安易に触ったりするやつを見かけた。罰当たりな野郎だ。
かわいいね。
「あなたはどこから来ましたか?」というアンケートが売店の軒下にあった。多分だけど俺ならふざけてシリアとかソマリアあたりにシールを貼ると思うので半分ぐらい信用していない。
なんやかんやで30分ぐらいかけて東大寺の入り口まで到着。ここからさらにシカと観光客の間を縫うように歩く。
南大門にある国宝・金剛力士像

シカと金剛力士像
東大寺に来るのは小学校の修学旅行以来だ。3月に法隆寺に行ったし、こっちにも行ってみるかと思ったので拝観料を払って大仏を見ることにした。
カラーコーンが周りに溶け込むようになっていた

大仏殿の前の前に来るだけで背筋が伸びるような感覚になった。
法隆寺もそうだったのだが、17年間見てなかったぐらいで何かが変わったわけでもない。ただ大仏はそこに鎮座しているだけである。
外国人の家族連れの子供が「ハロー!」と大仏に言っていたのが心に残っている。ここは世界から人が訪れる場所なのである。
修学旅行の時は買えなかったメダルを購入。よくわからないが心が洗われたような気がした。
まだ昼食もとっていないのだが、奈良市内はインバウンド向け価格の飲食店しかないので水で命をつなぐ。
帰りは駅までのバスを利用。そのまま流れるように奈良線で大阪方面に向かった。
奈良14:05発 神戸三宮行き快速急行に乗車。途中で平城京の横を通る。次はこっちもしっかりと見ておきたい。
14:20 生駒に到着。食事がとれる場所を探す。
この前は気づかなかったが生駒はリニア新幹線の駅を誘致してるそうだ。今のペースだと令和100年ぐらいにならないと出来ないと思う。
ようやくそば屋に入れたので昼食。腹ごしらえをしたところで最後の駅訪問に向かう。
15:08発 地下鉄線直通コスモスクエア行きに乗車。
この山のふもとが昨日行った石切駅あたりである。
この遠征最後の訪問地。
荒本駅に到着。ここは東大阪市役所の最寄り駅、東大阪市の中心地である。
見た感じ地下駅だが、実際は半地下と言った形。こういうのを何と呼ぶのだろうか。
駅の案内はLEDではなくパタパタだった。近鉄は探してみると結構パタパタが残っている気がする。
荒本15:24発 生駒行きに乗車。そこから難波に向かうことにした。
今思えば地下鉄で戻ればよかったと思う。
400系もだいぶ増えてきた印象がある。
生駒15:43発 神戸三宮行き快速急行で再び大阪市内へ。
車内は観光客だらけだった。奈良線は昼間特急が走らないのでこんな感じで快速急行は常に混んでいる。少しぐらい走らせてもよさそうな気がするがな…
近鉄日本橋で下車。
そういえば吉本の本社って始めて見た気がする
なんとなく行き忘れていたので日本橋のナムコへ。
今回飾られていたのは橘ありすの衣装だった。6thライブで着用されてたものだったと思う。個人的に初めて行ったアイマスライブなのでかなり心に残っている。時間つぶしの後はお土産を買って大阪難波駅へ。
17:00発 特急ひのとり17列車名古屋行きに乗車。
柿の葉寿司を食べてコーヒーを飲んでぼーっとしているとあっという間に名古屋に着く。
一気に現実に戻されている気がする。
19:09 近鉄名古屋に到着。これで今回の遠征は終了となった。

ところで「なぜ変な駅で降りたりしていたのか?」という理由だが

 ラブライブのための旅だったのだが、ちゃっかりと担当アイドルの名前シリーズをやっていた。それだけである。結局旅なんて自己満足で終わればいいのである。そう思う夏の旅であった。

 ところで今年はこれで京セラドーム行きは終わりだろう、そう思っていたのだが再び行かなければならない理由ができてしまったのは別のお話。

 

蓮ノ空コラボゲーム遠征 6回裏のストーリー 完 

2024年11月27日水曜日

2024.7.6-8 【蓮ノ空コラボゲーム遠征】6回裏のストーリー⑤

 前回→https://turumaista.blogspot.com/2024/09/202476-8-6.html

第7章 未知の向こう

 7月8日(月) 晴れ

 今日も蒸し暑い。起床してから温泉で朝風呂を浴び、朝食をホテルの下にあるコンビニで買って部屋で食べてゆっくり朝ラッシュを回避する。

どうでもいいけどこの区分大雑把すぎない?

朝食

お世話になりやした~

 チェックアウト後、まずは難波に向かう、帰りのルートは特に決めてないのでロッカーに荷物は入れないのだが、ここで発車案内を見て「はっ!」としたのでホームへ向かう。

昨日東花園駅で見た「あをによし」がいたので撮影する。
地下駅で異彩を放つ車体
京都行きのはずだが、一番後ろの車両は橿原神宮前を表示していた。まあこの辺は種車も古いしなあと思ったが。

見送った後まだ余裕があるので地上へ。

観光客向けなのだろう、難波駅の表示には道頓堀に行くにはどこで出るのか親切に表示されている。
そんな飲み会みたいなノリで万博すな。
めぐちゃん、グリコだよ…
地上や地下を行ったり来たりしながら進む。
やってきたのは「南海の」なんば駅である。別に間違えたわけでもなんでもなく、ここが今日の出発地点なのである。
南海高野線で河内長野に向かい、そこで近鉄長野線に乗り換える。そのためだけに南海電車を使う。乗りつぶしも兼ねられるし、一石二鳥である。
なんば9:40発の急行林間田園都市行きに乗車。車両は南海の最新型通勤車8300系だ。
隣のホームには古い車両が入ってくる。こっちのほうが知ってる南海電車と言う感じである。
12000系「サザンプレミアム」と一般車両の連結はなんとなく親近感を覚える
なんばを出発して天下茶屋までは南海本線との複々線を走行する。東急大井町線を紹介したときにも出したのだが、高野線の電車は今宮戎と萩之茶屋にも停車するため「各駅停車」と案内され、通過する南海本線の電車は「普通」と案内されている。
天下茶屋を過ぎ、岸里玉出の手前で本線と別れる。以前汐見橋線に乗車したときはここで乗り換えたためかなりの距離通路を歩かされた覚えがある。その汐見橋線こそが実はこの高野線の一部分で、本来の起点である。このように分断されて全線を物理的に直通できない路線と言えば阪急の今津線を思い浮かぶ。
列車は急行なので快適に走るかと思いきや、退避できる駅が少ないのかそこまで速く感じなかった。昨日乗った奈良線は「要るのか?」というぐらい退避駅があったのを思い出してしまう。
ここでフォロワーの南海有識者、みさきさんに面白い情報を貰ったので予定を変更して金剛で急行を下車。
停車していたのは6000系。しかも登場時の無塗装に復刻された6001Fだった。
金剛10:07発 各停河内長野行きで終点まで乗車。
10:15 河内長野に到着。近鉄長野線の駅はすぐ隣にある。
改めて6001Fを見てみる。この車両は1962年製の車両だ。つまり南海ホークス、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスと並行し、阪神との日本シリーズ時、東海道新幹線の開業前から走っている車両である。
そこまで再現するのか
こちらは南海の旧社章。1993年まで使用していたものである。
近鉄もそうなのだが、南海も長い歴史がある会社なのでいずれじっくり乗車したいものである。
連絡改札を通って近鉄の旅を再開する。実は上記の写真に写っていた近鉄の車両は乗車予定の列車なので、だいぶ余裕が無い中写真を撮っていた。
 河内長野駅は1898年に高野鉄道によって開業した駅で、1902年に河南鉄道が乗り入れた成り立ちを持つ。その河南鉄道側、近鉄長野線は1898年に河陽鉄道(翌年河南鉄道が引き継ぐ)によって古市~富田林が開業したのを始まりに持つ路線である。1902年に滝谷不動まで延伸、前述のとおり1902年に全通した。その後大阪鉄道、関西急行鉄道を経て1944年に近鉄の路線となった。ちなみに近鉄は関西急行鉄道と南海鉄道が合併してできた会社である。

つまり先ほどまで乗車していた高野線もかつては近鉄の路線だったのである。今じゃ想像もつかないのだが、そのまま近鉄になっていたら阿部野橋から高野山までの特急とか走っていたのだろうかと考えてしまうものである。

 10:18発 大阪阿部野橋行きの準急に乗車。長野線の電車はほぼすべて種別が準急だが線内は各駅停車である。多分名鉄なら古市で普通に変えられてるだろう。車内はかなり混んでいたのだが2つ先の滝谷不動で8割近くが下車した。この駅は大阪大谷大学の最寄り駅で、副駅名にも表記されている。

車窓からはPL(パーフェクトリバティー教団)の大平和塔が見えてくる。これでもまあまあ遠くにあるのだが、かなり大きいし多分夜中なら怖いと思う。
富田林で下車。長野線はここで単線から複線に変わる。
2面2線のホームにはそれぞれ改札口が直結している、メインは南口になっている。
駅前に停車中のバスは河南町に向かうコミュニティバスだ。2023年12月に廃業した金剛バスの車両をそのまま使用している。
南口の様子。暑いので駅前のコンビニに入ろうとしたらドアの位置を間違えた。ついでに飲み物を買った後「manacaで」と言おうとしたが通じないと思い「manaca、交通系で」と言ったら通じた。少し付け加えることで物事はスムーズに進むのだ。
10:43発の阿部野橋行きはリニューアルされた6500系だった。これで1駅進む。
喜志に到着。ここは某楽曲で「駅前に何もない」と歌われていたのでちょっと降りたくなっただけである。
は?????
いやお前何???????と思ったのだがもう一度通したら普通に通った。3日目のフリー切符はこういうところが怖い。
気を取り直して駅を観察。
本当に天王寺(阿部野橋)まで490円だった。
駅舎。改札などは地下通路に存在している。新清洲みたいな感じだった。
肝心の駅の周辺だが、あのPL学園はこの喜志が最寄駅だったことを初めて知った。
現在は野球部どころか学校自体存続の危機に陥ってるかつての野球名門校だが、中川圭太さんが言ってるようにいずれ復活してほしいものである。
喜志駅に限った話じゃないが、来てみないとわからないことはたくさんある。だからこそ人は旅をするのだろう。
(言えない)
再び喜志から電車に乗る。
11:01発 大阪阿部野橋行きに乗車。
古市で下車。これで近鉄の狭軌線は全線完乗、全体の乗車率も90%を超えた。
達成感もそこそこに11:07発の橿原神宮前行き区間急行に乗車。
橿原神宮前に到着。ここからは標準軌の旅になる。
駅に到着したら「きっとパルケエスパーニャ」のメロディーと共に志摩スペイン村の宣伝放送が流れており、疲れと暑さから自然と笑ってしまった。
ここからは奈良に向かうか、京都に向かうかの2択である。


つづく