→2章つづき
ここからは今回2つ目の乗りつぶし路線、吉野線で吉野を目指す。10:30発 吉野行き急行に乗車。急行だがこちらも各駅停車。思えば名張からほとんど駅を通過していない。JRで大阪に行くときとそんなに変わってない気がする。
吉野線は1912年、吉野軽便鉄道が吉野口~吉野間を開業したことが始まりである。その後吉野鉄道に名前を変え、1923年に橿原神宮前まで開業。近鉄の前身の一つ、大阪電気軌道(大軌)畝傍線、現在の近鉄橿原線と接続。1928年には現在の六田駅となる初代吉野駅から現在の吉野駅までが開業。全通となった。翌年には吉野鉄道と大軌の合併で路線名が「吉野線」になった。
行きはロングシートなのであまり景色は見られない。沿線には鮮やかな壁画で有名な高松塚古墳のある明日香村の中心、飛鳥駅には古そうなパタパタの表示機があった。しかし表示する行先って「吉野」だけじゃないか?と思ったが実際は「下市口」とかもあるようだ。いつかこのエリアもしっかりと観光しておきたいものである。
そこからは国道169号線と並走し、住宅がどんどん少なくなると次第に緑が多くなってくる。そしてJR和歌山線との共同使用駅である吉野口に到着。
JR和歌山線も以前は関西鉄道という私鉄の路線だったこと、そして吉野杉などの貨物輸送に使われていたこともあり、その名残でこの駅はJRの管理駅となっている。上記のようにJR仕様の駅名標に私鉄の駅名が書かれているのは名鉄の豊橋駅などを思い出す。![]() |
突然暴言吐くやん |
そこからは国道169号線と並走し、住宅がどんどん少なくなると次第に緑が多くなってくる。そしてJR和歌山線との共同使用駅である吉野口に到着。
ちなみに、吉野線のルートが最短距離ではなく少し西側に大回りになってるのもこの吉野口での貨物輸送が理由である。以前は近畿車両で新製された近鉄の車両からこの駅で受け渡していた…らしい。
その後も各駅停車で山間部をひた走る。快走というほどではないが、今年乗ったJR名松線に比べたらまだ速いし乗り心地も良いと思う。
ふっと後面展望を見るとかなりの勾配を登ったことに気づいた。
下市口を過ぎ、六田車庫のあるもともとの吉野駅、六田駅に到着。この辺までくるとだいぶ線形もよくなるのか、速度が速くなる。
橿原神宮前を出たときは6割ぐらいだった乗客も半分ぐらいは飛鳥や壺阪山などの観光地や、吉野口などの主要駅で降り、気づけば同じ車に1人しか乗っていなかった。吉野川橋梁を渡るといよいよ終点の吉野駅に到着する。
11:17 吉野駅に到着。これで吉野線は完乗となった。![]() |
大阿太駅前には宅地開発が頓挫した結果のソーラーパネルが建ち並んでいた |
ふっと後面展望を見るとかなりの勾配を登ったことに気づいた。
下市口を過ぎ、六田車庫のあるもともとの吉野駅、六田駅に到着。この辺までくるとだいぶ線形もよくなるのか、速度が速くなる。
橿原神宮前を出たときは6割ぐらいだった乗客も半分ぐらいは飛鳥や壺阪山などの観光地や、吉野口などの主要駅で降り、気づけば同じ車に1人しか乗っていなかった。吉野川橋梁を渡るといよいよ終点の吉野駅に到着する。
近鉄の乗車キロが440キロを突破。名鉄全線に匹敵するぐらいの距離だ。
いかにもターミナル駅といった雰囲気だが、桜の季節にはもっと大勢の乗客がここにいるだろう。
次の特急で大阪に向かうことにして、駅の外に出る。
以前は客室からの展望が可能だったが、リニューアル後は展望スペースが新たに取り付けられた。椅子に座っての展望が可能だ。いかにもターミナル駅といった雰囲気だが、桜の季節にはもっと大勢の乗客がここにいるだろう。
次の特急で大阪に向かうことにして、駅の外に出る。
駅舎は1928年の開業当時からの社殿風の建物。なんと2021年に無人駅化されてしまった。こんなに立派な駅なのに。
そして吉野杉を使った看板も掲げられていた。
少し歩くが、千本桜で有名な吉野山行きロープウェーの千本口駅と連絡している。世界遺産でもあるこの吉野、観光シーズンには多くの観光客が集い、特急のほかに快速急行も走る。
駅前のお土産店に入る。わずかな時間で飲み物と「青の交響曲」のラバストを購入。駅に戻った。
11:34発 大阪阿部野橋行き特急さくらライナーに乗車。
そしてここから一気に阿部野橋に向かう。
第3章 こんなところまでデラックス
11:34発 大阪阿部野橋行き特急さくらライナーに乗車。
![]() |
壁面には桜があしらわれていた。 |
大阪阿部野橋からの特急「青の交響曲」が到着。中からは観光客が大量に出てきてあっという間に山奥の無人駅に活気が生まれる。
車両は16200系。もともとは6200系という通勤型車両である。
奥にいるのがさっきまで乗っていた急行。もはや別の車両だろう。
実を言うとこいつで大阪まで出ようとしたのだが、通路側しか空いてなかった。それならさくらライナーで眺望を楽しみたいと思った次第である。
![]() |
仕切り扉にも吉野杉が使われている。 |
ちなみに阿部野橋までの特急料金は730円。吉野特急は観光地が沿線に多い他、近鉄の分譲住宅など通勤通学需要を掘り起こすために停車駅が多い。その分所要時間も遅いのだが、特急料金が安いのが特徴だろう。参考までに書くと先ほどの四日市~名張の特急料金は1340円。こう書くと吉野特急の手軽さが分かるだろう。
吉野口近くには削り取られた山があった。
こちらはJR和歌山線仕様の駅名標。最近のJR西日本はラインカラーを全面に押し出す感じで見ていて楽しいのだが、和歌山線の227系は深緑色なのでよくわからないところだ。
壺阪山駅はあじさいが植えられていた。あじさいが綺麗な壷阪寺はこの駅からバス連絡となる。
![]() |
六田車庫 |
吉野口近くには削り取られた山があった。
こちらはJR和歌山線仕様の駅名標。最近のJR西日本はラインカラーを全面に押し出す感じで見ていて楽しいのだが、和歌山線の227系は深緑色なのでよくわからないところだ。
壺阪山駅はあじさいが植えられていた。あじさいが綺麗な壷阪寺はこの駅からバス連絡となる。
橿原神宮前につくと乗客が多くなる…とはいうものの吉野特急は普段からかなり空いている。そのためほぼ貸切のような状態である。南大阪線内はしばらく快適な走りを見せるものの、藤井寺や古市あたりでカーブが連続する区間に入る。この付近は古墳が多く、それを避けるために大きく迂回する区間が多い他、路線の成り立ちの歴史上南大阪線の方が後から開業したことが大きく関係している。こんなところにも近鉄という会社の歴史の一端を感じられる。南大阪線は面白い路線なのである。
あべのハルカスが見えてくる瞬間がなんだかんだで一番わくわくする。終点も近い。
12:51 大阪阿部野橋駅に到着。今回の名阪間移動には5時間近くを要した。東海道線や草津線、関西線経由の時間を超えてしまった。疲れたのだがこの後ホテルに移動して荷物を預けてもらうなどの業務が待っているのである。
ホテルまで向かう御堂筋線の車内には「箕面萱野」の文字があった。シールかいな。その後は明日も連番するかいていさんと昼ごはん。よまつり遠征の時に射的でゲットした割引券片手に向かった串カツ屋へ。
その後は街歩きだのなんだので時間が過ぎ、夕方に再びホテルへチェックイン。
今回もいつものホテル。ベッドが変に囲まれている感じ。
ウェルカムバーで少し引っ掛けたのち、再び街へ。
焼肉ライクに初めて来店。1人でも気軽に行けるような焼肉はなんか新鮮だった。
その後は街歩きだのなんだので時間が過ぎ、夕方に再びホテルへチェックイン。
今回もいつものホテル。ベッドが変に囲まれている感じ。
ウェルカムバーで少し引っ掛けたのち、再び街へ。
焼肉ライクに初めて来店。1人でも気軽に行けるような焼肉はなんか新鮮だった。
夕食を取りながら支配下に昇格したばかりの大里がプロ初打点を挙げてるのを見て思わず喜ぶ。2軍で見てた選手が活躍するのはうれしい。
![]() |
みちこ!? |
明日はいよいよ試合の日である。
備えるためにホテルに戻り、温泉につかったのち就寝。長い1日が終わった。
つづく
おまけ
九条駅から乗った地下鉄が400系だった。しかも森ノ宮行き。
なぜ初めて乗る400系が森ノ宮行きなんだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿