2024年3月7日木曜日

2024.3.3~4 【シャニ6th大阪遠征】今しかない瞬間、此処に咲く花①

「そういえばシャニマスのライブ行ったことねえな」
とか言い出して早3年以上が経った。デレの山形も外れたしいい加減重い腰を上げることにした。
これはその記録である。

 相変わらず今回もライブまでは遠いのでご了承を。そして現地に行ったのはDay2なのでDay1についてはtwitterとかにつらつら書いていくのでそっちを参照してほしい。

第一章 拝啓新規乗車

鶴舞5:26発 普通名古屋行き
  3月3日(日)晴れ
 今回も夜明け前の街を鶴舞駅まで歩くところからスタートだ。大阪に何度も行っているここ数年、毎回のように行きのルートを変え続けている。今回はJRで西に向かうことになった。案の定時間がかかりすぎるので始発電車で出発することになる。
名古屋5:37発 普通大垣行き

木曽川を渡ったあたりで太陽が顔を覗かせてきた

 軽くDay1のことに触れると「シャニソン曲って今日明日で分けるの?横浜と大阪で分けるの?」「太陽キッス現地でやりたすぎだろ」「今日何歌わされるの?無自覚アプリオリ?」という感じである。とにかくシャニマスのライブが初めてなので毎度のように前日眠れないぐらい楽しみにしていた。

大垣6:20発 普通米原行き(奥)
 大垣で乗り換え、穂積で隣に座ってきたやつが全然動かなくて「お前マジで危機感持てよ」と思いながら空席になった向かい側のシートを転換しスペースを確保して降りる準備を進めた。こんな乗り換えに全く向いていないような駅直前でのほほんとしてるとかマジで危機感持った方がいい。
大垣行きはY100だったのでオール転換クロスだった。座れたので快適に米原まで過ごす。関ヶ原を過ぎると雪がうっすら積もっていた。
伊吹山もご覧のように真っ白である。すでに夜明けを迎えており、写真ではわかりにくいだろうが輝いて見えた。18きっぷシーズンの朝とあってかまあまあ混んだまま米原に到着。
ここで新快速に乗り換える。
米原7:03発 新快速姫路行き
 西日本の新快速は12両なのでよほどのことがない限り乗り換えに少し手間取っても座れるのが良い。米原駅がホームタッチで乗り換え可能なのも良い。大垣駅は見習いなさい。
鉄道総研風洞技術センターのSTAR21(左)とWIN350(右)
発車してすぐ車窓左手に見える新幹線の試験車両を眺めるのも米原の楽しみである。その後はただ京都まで座っているだけである。
 7:57 京都に到着。ここからは奈良線に乗り換える。のだが…
はぁ?テメェ…

まあアプリを見た感じそこまで酷い遅延じゃなさそうなのでまずうどんを食べる。
食べ終わったらいよいよ奈良線に乗車。
令和6年にもなってまだ205系を使っているのか、という感じだがつい最近までもっと古い車両が闊歩していた。そんな路線である。
奈良線のカラーは茶色、古都のイメージらしい
奈良線が開業したのは1876年。官営鉄道として京都~稲荷~大谷(現在の京阪大谷駅)の間で開業したのち、奈良鉄道が同じく京都~伏見の路線を開業し、その後路線の延伸を繰り返して1896年に京都~奈良間が全通した。その後木津~奈良は関西本線の一部となった際に現在の奈良線という路線名称になった。
なお、起点は木津駅ということになっているが「上り」は京都行きの列車である。そこにもかつての都としての思想が出ているのかと思った。
京都8:16発 区間快速奈良行き
 そんなこんなで奈良線の列車に乗車。各駅停車のほかみやこ路快速という最速種別のほか、宇治まで快速運転を行う区間快速が存在する。今日乗車するのは区間快速である。案内ではしきりに「快速は稲荷に停まらない」と放送しているが、これは伏見稲荷神社に向かう観光客向けの放送である。そこまで言うなら停めたらいいのに。と思っている間に京都駅を発車した。

第二章 聖地であり思い出の地へ

 京都を出ると東海道線と別れ、南にカーブするとすぐ東福寺に着く。そこから六地蔵までの間に例の稲荷駅を通過した。駅は伏見稲荷をイメージして赤が多く使われていた。そしてこの駅には国鉄最古のランプ小屋が残されている。この先はかつて存在した巨椋池を迂回するような形で進んでいく。
宇治~JR藤森間は2023年ようやく複線化された
宇治に到着した時に車内の8割ぐらいが下車していったので補助席から空いているクロスシーとに着席。この駅は10円玉で有名な平等院の最寄駅である。
竹林を抜けていく
木津で片町線・関西線と合流。ここで4年前のルートと合流する
 ここからは各駅に停まっていく。線内で一番新しいJR小倉はカーブの途中に存在するため、かなりうるさい音を立てて停車する。5年前に乗った仙山線の某駅を思い出す。
 一部列車が折り返す城陽からは単線になるのだが、この先の駅はすべて2線存在するのでこっちは名鉄小牧線の感じを思い出す。奈良線は現在も全線を複線化する構想があるのだが、これが完成すれば並走する近鉄相手にもう少し勝負になるのでは?と思った。
「平城」で「なら」と読ませるの思想が強くない?
 木津からは関西線にそのまま直通する。列車はその先で奈良県に入る。この路線は奈良を名乗っておきながら京都府内で完結する。横浜まで行かない横浜線の関西バージョンと思えばいいのだろうか。
 9:12 奈良に到着。言わずと知れた奈良県の中心駅…というわけではなく奈良の中心部からは少し離れている。JRの立場は弱い。
 2010年に現在の高架駅になったのだが、その隣には先代の駅舎が残されている。
現在は観光案内所として使用されている。
これだけ大きな建物を移動できる曳家の技術ってすごいんだなと改めて思った。
少し小休止したのちは関西線で大阪方面に向かう。
せんとくん

奈良9:30発 大和路快速大阪方面行き
 再び大阪方面へ向かう快速に乗り込む。快速と行ってもこの先王寺までは各駅停車である。
 法隆寺駅で途中下車。その名の通り世界遺産・法隆寺の最寄り駅である。ここで降りた理由は一つ。
※斑鳩ルカは別に奈良県出身ではない
ルカ…斑鳩町だよ…
 そう、ここは奈良県生駒郡斑鳩町。担当の名前があるなら降りないといけないでしょう。ということでわざわざ分割できる切符を通しで買って途中下車できるようにした経緯がある。



この町は斑鳩だらけである。そりゃそうやな。
せっかくなので法隆寺まで散策してみる。
法隆寺の参道までは歩いて20分ぐらいである。
来るのは小6の修学旅行以来である。
あの時は最終日の昼ご飯を食べて法隆寺が最後の見学地点だったことを覚えているので、当時その昼食を食べたお土産店が存在することを確認していた。
境内の拝観料がかからないエリアから五重塔を撮る。
当たり前だが、1000年以上前から存在する寺社なので経った18年来てないぐらいで違いが生まれているわけがなかった。あの秋の日、仲の良かったクラスメートたちと行ったときのままであった。
別名が「斑鳩寺」である知識をあの時手に入れなかったら多分スルーしてた。
学校の授業に感謝。

 懐かしさに浸ったのち、再び歩くのはダルいのでバスで駅まで戻る。両替に手間取る。1回休み。
斑鳩町は曽谷龍平さんの故郷でもある。
 再び関西線の列車で大阪に向かう。
法隆寺10:41発 大和路快速大阪方面行き
 ここからは寝ていても起きていても大阪市内で起こされるので安心して過ごす。
 天王寺に到着。ここで地下鉄に乗り換えてホテルに一度荷物を預けに行く。なぜか逆方向の御堂筋線に乗ってタイムロスをしてしまうイージーミスを犯しながら無事に身軽になる。
 その後はよまつりでも一緒になったかいていさんとJさんと一緒に梅田で昼食。途中Jさんがカレーにソースをかけ始めて思わずDye the sky.のイントロが流れてきたのだが、やってみたら意外においしかった。
 その後は環状線で大阪城公園へ。
大和路快速の慣れの果て。天王寺で寝過ごすと天王寺に連れていかれる。

 去年6月以来の大阪城公園。いよいよ脳内がライブの気分になってくる。

つづく

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